「休職なんてできない」と思っていた私が休職するまで

休職のこと

「休職」という言葉は、どこか他人事のように感じていました。自分がそんな状況に陥るなんて、ちょっと前までは想像もしていませんでした。仕事で自分の能力を発揮して評価されることが大切で、上司に弱みを見せれば管理能力がない奴だと思われる、そんな気持ちで真面目に仕事に向き合っていました。それが当たり前だと思っていました。

限界へのカウントダウン:仕事に追われる日々

振り返ってみると、メンタル不調に陥る直前というのは、例外なく仕事に追われている時期でした。朝から晩まで事務作業に追われることに嫌気が差しながらも、自分がやらなければ滞ってしまう、という強い責任感でなんとか細い糸をつなぎとめるように自分を鼓舞しながらこなしていました。

多くの人がそうではないかと思うのですが、忙しい時ほど「自分が休んだら仕事が回らなくなる」「みんなに迷惑をかけてしまう」という思考に囚われがちなのではないでしょうか。休むことは、周りの期待を裏切ることのように感じてしまう。これはあとから認知行動療法を学ぶ中で知ったことですが、責任感が強く、完璧主義な傾向があるわたしのようなタイプの人にとっては、「休む」という選択肢はなかなか自ら選択できないものだったのだと思います。

「もういやだ、休みたい。でも休めない。」

当時の私は、瞬間瞬間で常に葛藤していました。心からも身体からもSOSが発信されていたにも関わらず、自分には仕事をするしか選択肢はないのだと思い込んでいました。

ぷつりと切れた糸:動けなくなった朝

そして、ある朝、ぷつん、と糸が切れてしまいました。その日は、年末最後の仕事を終わらせた翌朝で、朝起きると体が重く頭はぼんやりとし、ぼーっとしているだけでただ涙が溢れてくる。会社に休みます、と連絡を入れました。

年末年始の休暇までこの日を含めてあと2日という状況でした。今思えば、最後の仕事をして力尽きたんだと思います。休暇を待たずに心も身体もシャットダウンした感じでした。

初めての精神科受診

以前家族が調べてくれた家から比較的近い精神科クリニックに予約の電話を入れると、幸い当日予約が取れるとのこと。その日の夕方に受診しました。

病院へ行くのも、それまでは行ったほうがいい気がするけど勇気が出ない、と思ってなかなか行けませんでしたが、この日は、もう行くしか自分が助かる術はない、という気持ちで重い体をひきずりながら、そしていつどこでも溢れてくる涙をこらえながら病院へと向かいました。

頭もぼーっとして回らないので、事前に今の状況や考えていることをメモにまとめて持っていきました涙。

その日の診察では涙(と鼻水)を流しながらまともに話すこともできず、とりあえず睡眠薬が処方され、また休み明けの年始に予約を取って帰りました。ちなみに、このクリニックには復職した今も月1回で通っています。今とでは、一か月の振り返りと今の状況確認をする、というルーチンになっています。

記憶のない年末年始、そして重くのしかかる年始

そして年末年始の休みに無事入り、ほっと安心できる時間を持つことができました。正直この年末年始の休みをどう過ごしていたかについては、今はほとんど記憶がありません。たぶんずっと寝てたんだと思います。

年始を迎えて、またずっしりとした心の重りがどかっと乗ってきたような気持ちが戻ってきて、年始の仕事はじめもお休みしました。このころには、もうお願いだから休職させてくれ、、という気持ちになっていて、仕事する気力もありませんでした。

休職へ:自分を守るための決断

予約していた2回目の診察へ行き、先生から年始は会社へ行けたか?と聞かれましたが、行けませんでした。と答えました。そこから一週間ほど休み、担当医から診断書が出され、会社へ正式に休職を申し出ることとなりました。

この頃には、もう責任感というよりも、わたしをこんな状態へ追い込んだ会社への怒りや恨みモードに突入して、みんなに迷惑をかけるかも、という思考はいったん止まって、休むことに専念することが今の自分には一番大切だ、という意識に変わりました。

最後に

今回は、わたしが休職直前から休職することになったところまでを書いてみました。 人それぞれちがうと思いますので、みんながみんなこういう経緯や感情、症状ではないと思います。ちょっとでも参考になればと思います。

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